夜のうちに降った雨は朝にはあがり、花を散らしたその痕跡を残すばかりだった。
家の近くの駐車場に停めてある、昨日洗車したばかりの車には、すでに水汚れが出ていた。
水はけの良いアスファルトもまだ濡れている、雨が上がったのがついさっきなのが見て取れた。
見渡す限りにある木からも、雫がしたたり落ちた。
春先のこの時期は暖かかったり寒かったり、日ごとに気候が変わる。今日は少し寒い方の日だった。
起き抜けにカーテンと窓を開けて日の光を家に入れる。ピリッと冷えた空気と日光がリビングに一日の始まりを知らせる。名曲の前奏が流れ出したときのように、じわりと、気分が高揚した。
今日も新しい一日が始まる。そんなことが感じられる日光を受ける。人間も光合成をして生きている、と思った。
さて、と思う。そろそろ歯を磨かなくては。朝起きたら、まず歯を磨く。鏡の前に立ち、彼とアイコンタクトを交わす。長い時間をかけてすっきりと磨き上げる。この工程があるために、朝の時間に余裕はない。歯磨きに準備時間のほぼすべてを使う。起き抜けにお口の中をさっぱりとさせる。とっても大切な儀式だった。
誰にでも他人には理解しがたいこだわりがある。自分には無い、と思っている人にも、やはり独特のこだわりがある。気が付いてないだけか、そのこだわりが少なくない人の共通のこだわりになっていて、一般論に収まる類のものなのかもしれないが、それもやはり独特なこだわりの一つだろう。
個人的なこだわりなら何も問題ない。少し変わっている人に見えるだけ。誰かを少し困惑させるかもしれないけど、それだけだ。
ところが、多くの人間の共通のこだわりとなると、とてもやっかいなものになる。特に根拠が何もないのにもかかわらず、それがこだわりに変わったとするなら、もう無駄の連続だ。
「どうしたら彼らは分かるのだろう」
「それは、僕も含めた、彼らのことかい」
「あるいはそうかもしれない。しかし、そこには僕も含まれるかもしれない」
「何かを、誰かに、分からせる。それはテレビがやることだ」
コロナ禍では、ほとんど全ての人がマスクをするようになった。そもそもマスクなんてしていない人までマスクをした。マスクをしない人間は、犯罪者を見るかのような目で見られた。ひどいときには、それを強要された。まったく根拠が無いことであっても、多くの人たちが正しいと思えば、簡単に正当化された。
不織布、と言われる素材でできたマスクにはそれなりに効果がある。もちろんこれにしたって単体で存在する極小のウィルスを防ぐことはできない。不織布の隙間から侵入可能だ。しかし、飛沫については防ぐことができる。唾液に混じったウィルス。唾液の粒は不織布を越えられない。これは良い。
最も酷く、醜い問題だったのが、手作りマスクをなぜ作らないのか、という暴論を振りかざし、非難してくる人たちが一定数いたことだ。
手作りマスクでは、感染予防においてなんの意味もない。と伝えても、エビデンスがなくても、この暴論が正しいと信じた人には、絶対に通じない。伝える時間が無駄になる。
手作りマスクをしたいならすれば良い。ただしそれは強要する類の話じゃない。これも通じない。
恐怖が蔓延している時には、正しい情報というのが伝わりにくい。伝わりにくいこともあるし、どれが正しい情報なのか誰も分かっていない。誰もが専門家ってわけにはいかない。それらしいことを誰かが、専門家らしい誰かがそれを言ってしまえば、多くの人は簡単に信じてしまう。そして、それが正しい情報ということになってしまう。本当に正しいのか、間違っているのか、あるいは根拠が弱く正確とは言い切れないまでも信用に足るのか、は別にして。
その後で反証を示して、それは間違いですよ、と言っても不思議なことに誰も信じない。最初に手にした間違った情報が簡単に書き換わることがない。本当に不思議なことに。
多くの人はそんな感じに過ごしていた。寓話が持つ強力な力が、ここにあった。
みんなが見ているのは、この世界の一部を映し出す鏡像だ。
「だから僕は、テレビあるいは新聞を見ることを止めたんだ」
「なるほど、それは文明を敵に回すってことだね。あるいは、人類を」
「どういうことだい?僕はあくまでもテレビを見ないだけさ。文明や人類の話をしていない」
「人類は、寓話によって進化したんだよ」
世間はとっても、本当の非常事態だった。新型ウィルスに対して、人間は脆かった。その病気本来の脅威、にではない。
それがもたらす未知な寓話に対して。全員がパニック状態で、支離滅裂なことを言った。
誰かの対応が、事態を劇的に何か良い方向に変えられるという神話にすがりついた。
一定のことなら誰かの、または何らかの対応で変えられるとしても、それはとても限定的なことなのに。
新型ウィルス。未知の生物。不可視の理解不能なものは、誰にとっても恐ろしい。どうにもできないことも怖い。
どうにもできないのだから、できることをやって、おとなしくしているしかないのだ。
それなのに、それ以上の効果がありそうなものを血眼になって探す。そして、騙される。
そして、また根拠のない情報を振りかざし、周りの人を犯罪者扱いする。
無意味で不条理で、非生産的なサイクル。このサイクルに入った人は、絶対に抜け出せない。
どうしたものか。どうしようもないか。
鏡を見る。そんな世界にうんざりする僕が映っていた。
頭の悪い奴らの、理解しようとしない人間の、馬鹿な振る舞いに、頭にきている僕がいた。
暗い表情で、怒りを含み、誰かを罵らないとおけない僕。
でも、それじゃあ同じじゃないか。
不満を垂れ流し、誰かを批判し、だけど自分以外の誰かが何かを変えてくれると思っている人間と。
そうじゃない。僕は、人間はもっと賢く、自分で何かを変えられる生き物だ。
「ふー」
とため息をつく。
取り込まれてはいけない。取り込まれることこそが本当の恐怖だ。
とかく、嫌なものは人間の心に貯まりやすい。そんな期間になだった。だから、僕はもう能天気に生きることに決めた。
「いや、それじゃあいつも通りじゃないか」
と珍しく彼から指摘される。
「そうさ、いつも通り。それが良いし、それ以外にない。こんなときだからこそ、いつも通り、普段の自分で過ごしたいじゃないか」
彼は軽く肩をすくめる。
「誰も僕の心まで支配できない。目に見えない恐怖だとしても、在りようを変えなければ僕は僕だ。それが良い」
「まったく、その通りだな」
だから僕は今日も歯を磨く。誰にも変えられない僕のこだわり。自分の精神をより強固にするための儀式。
鏡に映る僕は相変わらず男前だった。
目に見えない恐怖は、いずれ去る。恐怖そのものがいなくなるのが先か、私たちが理解をするのが先か。
世界にはいつだって、この世を映し出した寓話がある。寓話は僕たちを、暗黒の海に落とし、晴天の野原へと導いてくれる。
きみたちは、この寓話をどのように捉えるんだ。
そう問われている。
世界を変えたいのなら、鏡の前で、まずはじっくりと、歯を磨くことだ。
そうすれば、いつもの明日が必ずやって来る。
いつもの明日は、きっと新しい世界を連れてくる。
またお目に掛かりましょう。